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「慧可断碑」なんて出血多量で死んでしまう

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ある人

「この世のいろんな疑問、もっと言えば不条理を
ワールドメイト理論
深見東州理論
ではちっとも説明しきれていないという結論に落ち着く

つまり
「前世来世や御魂や神仏霊界まで含めて深見東州教祖の説明を世の中の事象に当てはめていっても、この世の現象について説明し切れないことが多々ある」
結論はいつもこれ

でもせっかく高い金を払ってそういう学びの場に来てるんだからとことん質疑応答があってもいいはず

しかし残念ながらこういう疑問に関しては
三休禅師とかいう都合のいいインチキキャラが出てきて
『暇だからそんな雑念が出てくるんだ!喝!』
とか言ってそもそも考えさせないようにしている
その程度の教えならやっぱりブックオフの100円の宗教本にも書いてあるし
求道心があるなら本物の禅僧の本を3万円分買って読んだ方がはるかに安上がり」

 

「うーん…
禅というもの自体が「悟りとは何か?」「銀の椀の裏に雪を盛ることだ!」
という禅問答のように

本来の原始仏教とはかけ離れた、現代アートのような、奇抜な言葉や行動で深遠そうに見せかけているだけの
「修業ごっこ」と「観念遊び」の世界だから
あまり深入りしないほうがいいと思う

 

自分が知った現代のある禅僧は
台所にある何かの物をいきなり指さして「これなんぞ!?」と叫び
修行者が答えても、答えなくても「わかっとらん!」と殴りつけるという修行(?)をしているそうだが

その禅僧いわく、禅寺で修行して鬱などが治り、社会的に立派な自分になれたり、
性格、人格が改善して立派な人間になれると勘違いしている人が多くて困ると愚痴っていた
そういう効果はまったく期待できないそうだ
ではどんな意味があるのか?ということははっきりと明言してくれない

 

「生死を超越する悟りを開いて仏になるため」とは明言しなかった
おそらく、その禅僧もそうはっきり言い切れるだけの根拠がどうしてもないからだろう
そういう意味では正直であり、新興宗教よりはマシかも知れないが

 

 

禅宗の古典である「臨済録」には
悟りのひらけた尊い境地ならば、一日に千金の供養を受けても罰は当たらない
という内容が書いてある

つまり偉い坊主ならば、そのくらいの大金の布施を信者から受けるべきと
主張している
その部分こそが偽らざる禅僧の願望、本音のようだ

 

 

永平寺のような、まじめな禅寺では規律正しい、緊張感のある毎日をすごすように躾けられるだろう
しかしそれは、科学、政治、経済などの文化文明を促進させるような高等な社会人のレベル以前の
「部活動」のレベルの修行だそうだ

つまり禅僧は一生、同類だけの特殊な閉鎖空間で「部活動」レベルの修行をしている人たちであって
それはそれでよい部分や必要性もあるだろうが
そこまで深遠ですぐれた教えのある宗教ではないと思う」

 

 

ある他の人

禅の修行は目的達成のためにあるのではない
とはよく聞くなあ
だから〇〇(何らかの現世利益)のために禅をやる
禅を極めればこんないいことがある
みたいに思って始めるのは間違い、と」

 

 

禅などで悟りを開いたと本人が自称しても、それを証する形のあるものがありません
言ったもの勝ちなのでしょうか

そもそも悟りを開いたからと言って、それが社会のどんな役に立つのでしょうか
悟りは例えて言えば、無くても良いがあれば少しは見栄えがする玄関に飾られた土産物ほどの価値も無いのではないでしょうか

悟りを開いたと自称する坊主が、路傍で痩せ犬に吠えられたら慌てふためきみっともない有様で逃げだしたと聞いたことが有ります
悟りは痩せ犬の吠え声にかなわないようです

 

悟りでは飯を食えません
それを飯の種にするのは坊主と新興宗教の教祖幹部だけです

生活費が無く怒鳴り散らす女房が脇にいて、子供は空腹で食べるものを欲しがり、給食費を払う金も無いが、
すべては空(くう)だとして悠然と座禅する家庭に幸福は訪れるのでしょうか

 

 

宗教者はいつも大げさすぎますね

「慧可断碑」なんて出血多量で死んでしまうし、第一肘から下を切ったのを誰が見てたの?どうやって止血したの?あの図を真に受けてはいけません

 

 

達磨の物語が中国禅宗の作り話というのは、敦煌資料などから学術的にもう証明されてるようです

 

敦煌資料の中に現存最古の資料とされている達摩大師の伝記もあるのですが
達磨が座禅をしすぎて手足がなくなったとか、
慧可が腕を切り落として、その腕を持ってきて、達磨に弟子を志願したとか、
そんな荒唐無稽な話はいっさいありません

 

禅宗始祖の達磨は、さまざまな学問を身に着けたのち、仏教が衰えているのを憂いて、
インドから中国に仏教を宣教しにきた、常識的な仏教学者のようです

 

 

ワールドメイトの教祖、深見東州氏の『どこまでも強運』という著作にも
慧可の腕を切り落とした逸話や、肉体を持ったまま別の人間に生まれ変わって禅僧に弟子入りした人の話が修行者の手本として紹介されていますが、
深見氏は中国人が後世につくった作り話だと知らなかったようですね

禅僧の荒唐無稽な逸話は、
釈迦が生まれた瞬間に、七歩歩いたのち、『天上天下唯我独尊!』と叫んだという作り話と同じく
歴史的な事実ではない、ただの幼稚な創作です」

 

 

 

 


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